月別アーカイブ: 2016年8月

カルカソンヌ

8月31日


アラモンからニーム、モンペリエ、カルカソンヌ

宿を9時ごろ引き払い、カギをPUB16に渡してアラモンを後にした。

それにしてもこのAirbnbは鍵の受け渡しに立ち会いもせず、パブにあずけ、駐車場も来ればわかると言ってたがお祭りで入れず、お祭りの後も毎週水曜日市があるので宿の前の駐車はできない。それに、Wi-Fiが使えないだけでなく電話のデータ通信もほとんどつながらない。しかも祭り中は1時ごろまでやかましくて寝られないと、さんざんであった。

ニームには11時ごろついたが市内中心部は工事中のため大渋滞で駐車場に入れるのも苦労した。

ニーム

アラモンではネットの接続がむつかしくてメールを見るぐらいしかできなかった。とりあえずWi-Fiを使える店ということでマクドナルドを探して入った。

ここではタッチメニューに日本語の選択があった。

食事をしてネットを確認して話し合った結果、メゾン・カレ方形の家とフォンテーヌ庭園を見に行った。方形の家の手前に電話のFreeショップがあったので 順番待ちのペーパーをもらってから方形の家に行き、12時半に入った。

ところが中はベニヤを張っていて映像が流れるだけで内部装飾などを見ることはできなかった。入る意味はない。

Freeショップに戻ったが受付の女性にSIMが欲しいと英語で話しかけたが全く通じない。観光地の電話ショップで英語が話せる人がいないことに驚いた。

フォンテーヌ庭園に行ってみたが神殿や劇場などがあった場所に壺や石像を配置しているとあったがどれがどれかわからず、説明書きは多少あってもフランス語で皆目わからない。

今日中にモンペリエをみてカルッカソンヌにいかないといけないからと早々に出発する。走っていると円形闘技場を見かけたがあまり他と変わりなかったので停まらなかった。どちらにしてもニームはほとんど見るべきものはなかった。

モンペリエにつくとすでに4時ごろになっていて、時間がないので水道橋の真下に車を止めた。

モンペリエ

そこからペイルー公園へ階段を上がる。公園と水道橋を見て、凱旋門の前まで行き、車に戻りカルッカソンヌに向かう。

ラウンドアバウトが次々と続いていると妻が突然、カーナビを歩行モードのままにしていたと叫び、改めてドライブにして少し戻り高速道路に入りなおす。

途中でサービスエリアで軽油を入れてカルッカソンヌについたのは7時過ぎていた。

いつものように指定された住所で車を止めて妻と息子が探していると、車が来てリモコンでドアを開けて入っていった。

その運転手にAirbnbのホストの名前を聞くと「それはうちの隣で、あなたたちが来ることは聞いている」と答えた。

ホストとあって確認すると間違えないといわれ車を入れて説明を受けた。ホストは中年女性でフランス語しかできず、ホストが翻訳機を持ってきて日本語にしようとしたがうまく動かなくて英語に変換して話を聞いた。

私のiPhoneのグーグル翻訳のほうがうまく翻訳してくれた。またホストの娘さんが電話で通訳してくれたが、フランス語なまりであまり聞き取れなかった。

荷物を部屋に上げてから、カルッカソンヌに食事に車で出て行った。結構遠くて10分近く離れていた。駐車場に入れようとするとほぼ満車でたまたま出ようとしていた車を見つけてそこにすべりこんだ。

カルカソンヌ



カルッカソンヌは以前アメリカの友人が薦めてくれたゲームで、結構面白かったのでどんなところか興味を持っていた。今回はルートから少し離れているがどうしても行きたいと潜り込ませた。

carcassonne

カルッカソンヌに入ると想像以上に中世の空気を漂わせ、さらに上品に照明を配置した麗しい町である。中世の戦う町の中でも極め付けだろう。

レストランを探し坂の途中で見かけたメニューに日本語が書いてあったので入る。

少しだけ英語ができる若者がめんどくさがらずに丁寧に説明してくれ、スパゲティと若牛のステーキとパンプキンスープを頼んだ。

この店の料理はとても薄味でありながら粘りのある甘味でまとまっていて、今回の旅行で最高の味だった。あまりにおいしいので食後のデザートも頼んだが、これまた量が半端なく、しかも甘いので食べきれるかと不安だったが完食した。

寝静まっている家に戻り部屋にそっと入った。

31日の足跡

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プロバンス レ・ボー

8月30日
アラモンからレ・ボーを通りアヴィニョンへ、アラモンに戻る

6時に目が覚め、シャワーを浴びてからベーカリーに行ってクロワッサンを2つアップルパンを1つ買って帰りコーヒーを入れて食べた。

その間に妻がシャワーを浴びてからパンを買ってきた。

その後息子が起きてきて私と妻が買ったパンの残りを食べた。

食事を終えてレ・ボー・ド・プロヴァンスの光の採石場に向かった。車を駐車場に止めて階段を上がると入り口の目の前にも駐車場があった。

「採石場って何」と息子に聞かれて昔教会などの建物の建材の石を切り出した場所だと簡単に説明し、見ればわかると言って中に入った。

入ってしばらくは真っ暗な中で音楽だけが響いているが、ゆっくりと映像が見えてくる。




異常に高い天井と、入り組んだ壁と床に幻想的な光陰がながれて、一種異様な雰囲気をしている。観客はそこそこいて三々五々歩きながら見ている。

光の採石場は上映中の異次元の空間で浮遊している感覚と、映像が終わった後の冷え冷えとした採石場跡とのコントラストがとても素晴らしい。

次にレ・ボーの城塞に移動したが駐車場はふさがっていてかなり坂の下のほうに駐車せざるを得なかった。

岩だらけの土地に作られた小さな町だが入り組んだ道と小さな商店が並びその先に古城がある。間になったが小さな町で英語が使えない店に入るのは懲りたのでケースに食べ物が並んでいる店に入った。これは失敗でどれもおいしくなくて、いつも残したりしない息子が残してしまった。


レ・ボーの城塞の芝居

ヨーロッパではどこでも小さな戦いのための町は入り組んだ狭い道と岩と城壁が入り組んで作れている。それが歩を進めるたびに風景が変わり、どこにいるかわからなくなる。そういう町では新しい落書きは見当たらないが、古い刻まれた落書きが風雨でそれ自体空間を彩っていて美と生活感が共存している。

今回そういう小さな戦う町が好きになった。

サン・ミレ・ド・プロヴァンスの古代遺跡には、紀元前6年ごろに作られた凱旋門がある。凱旋門の原型のような形で非常に印象深い。

その近くのグラヌム遺跡を見たが、ポンペイの遺跡に比べるとかなり崩壊していた。

そこで疲れたのでウエイターが一人で暇そうに本を読んでいる誰も入っていない店でお茶にした。

アヴィニョンではサン・ベネゼ橋に行き妻と息子には輪になって踊ってもらった。息子があまりやる気がないので少し文句を言ったら、そんなことに面白がる年じゃないとほざいた。

出口を通るとき0ユーロ記念札を2ユーロで売っていた。息子がそれを見て2ユーロ下さいとお願いするので、写真撮るときもやる気を出してほしいなというと、もう一度やり直しをするといった。

アヴィニョン教皇庁を見て1300年代の建築物でもこれほど崩落するのかと、2000年前の水道橋の堅牢さに改めて感動した。

7時ごろになったので残りは省略し息子の希望で日本食を探した。

カーナビを車から持ち出して検索しながら歩くと名前は違うがSUSIが見つかった。入り口で躊躇していたが結局そこで夕食になった。そこのすしはSUSI BALLとなっていて丸い寿司だった。息子は手巻きずし、妻は寿司ボールを頼み、私は上にしゃけとマグロと が乗ったチラシを頼んだ。


二人は微妙な顔をしていたが、私は予想より特にコメが今までのすしレストランで一番おいしいと思った。二人はわたしのちらしを少し食べて確かにおいしいと言っていた。二人のたのだすしは握りが強すぎて御飯がつぶれていてさほどうまくないそうだ。

日が暮れてアラモンに戻った。祭りは完全に終わっていつもの静かな街に戻っていた。車が中まで入れるようになっていて、部屋の前に止めようとしたら住人らしき人がここはだめだとフランス語で言ってきた。

よくわからないがどうやりこの周辺は住人sか止められない。外部の人が止めると罰金になるというようなことを言う。そこまで言うならやめようと町の外の駐車場に車を止めて部屋に戻った。
30日の足跡

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プロバンス オランジュ

8月29日
アラモンからオランジュ、ユゼス、ポンデュガールを回ってアラモンに戻る

起きたら8時過ぎていた。妻は昨晩のコンサートがやかましくて寝られなかったそうだ。妻と息子がシャワーを浴びて着替えたら出るのは11時過ぎてしまった。

オランジュへの道

最初の目的地オランジュに11時半到着。

朝昼兼用の食事をしようとレストランを探すが、英語メニューとWi-Fiがあるレストランはなかなか見つからず、あきらめて適当なカフェで食事する。イタリアではかなり田舎でもあったのに、フランスはやっぱりフランスだ。

書籍の結びの道案内の場所はオランジュ。

食べ終えると1時過ぎていた。
SLバスを見かけて市内観光をしようと思ったが次の予定が2時で1時間待つは長いのでやめて、ローマ劇場に入る。この劇場は古代劇場とも言われ、ローマのアウグストゥスの治世下に作られた。現在も時折使われているらしいがなるだけ既存の建造物を変えないようにしているのは好ましい。

チケットを買うときニールのチケットと共通券を買った。古代劇場わきの美術館も同じチケットで入れたが、さほど見るべきものはなくて2階まで見て出る。


こんな英語も使えない田舎でも和食のレストランがあるのに驚いた。

凱旋門は少し離れていたので駐車場から車を出してカーナビで凱旋門まで行き、私だけ写真を撮るために降りた。

次の目的地ユゼスは少し離れていた。小さな町で車で入るとすぐ中心街に行き目立つ建物の敷地に止めて駐車料金を払い、中に入ってみるとサン・デオドリ聖堂だった。この教会の塔がロマネスク様式で少し変わった形をしている。

歩いて5分ぐらいのところにユゼス城があり、入場料を聞くと子供は無料だが二人で50ユーロもするので、息子が渋った。せっかく来たのに中に入らずに帰るのはどうかと言って無理になかにはいた。

城の塔が極めて高くらせん階段になっていて妻はなんで金払ってこんな苦労しないといけないんだとぼやいたが、登ってみるとその景色のすばらしさに黙った。

降りてくると料金にガイド付きで城を見ることができると、一緒に受付の女性が城の各室を見せてくれた。ただこの人は英語が全くできないのでガイドといってもただ各室のドアを開けて見せるだけだった。 ただ展示されている家具や食器を見た時、ガイドというより管理人としてついて歩いているんだと思った。
右端の写真はワイン室。

ユゼスの町の次はポン・デュ・ガールに向かう。ナビの指示どおり走っていたらそのまま有料駐車場に入っていった。車を降りて歩くとチケットを売っている建物がある。そこでストーンサークルのことを思い出した。あそこもチケットを売っていたが、そのチケットは美術館のチケットでストーンサークルを見るためのものではなかった。ここでもチケット売り場を無視して入っていくと息子が買ったほうがいいと言った。

さらに進むと大きな水道橋が見えてきた。スケールの大きさはほかの地で見た水道橋の倍ぐらいある。橋を造ったローマ帝国の素晴らしさを息子に言おうとするとその話は何度も聞いたと断られた。

橋を渡った先に階段があり、それを上ると三段になっている水道橋の一番上に行くことができた。いつもはガイドを付ければ橋の上を歩けるようだが、今日はすでに終わっていた。

橋の上には水が流れる溝があり、橋の反対側には山に穴をうがち、水が通るようになっている。今はもちろん流れていない。

7時になっていたので食事にしたかったが、レストランを見つけられないままアラモンまで戻ってしまった。

アラモンでは相変わらずフェスティバルでコンサートが続いている。ほかにレストランもないし、フェスティバルのピザを買って食べた。息子はマロンクリームのクレープを食べていた。


イタリアではほとんどのレストランで英語が通じたが、フランスのレストランでは英語メニューはないし、英語ができるほうが少ない。
店に入っても何も言わないと誰も何も聞きに来ない。にっこり笑ってボンジュールというと初めてやり取りが始まる。イタリアでは何も言わなくてもどんどん話しかけてきたのとはちょっと違う。またたばこを吸う人も少ない。

29日の足跡

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プロバンス アルル

8月28日


マルセイユからアルル、アラモン

朝8時にホテルアイビスのビュッフェで朝食を取った。今までで一番いい朝食だった。

アラモンのAirbnbのPinouに7時ごろつくとメールを送ると、私はいないがカギはPUB16に預けてあると返事が来た。PUB16ってなにと聞き返したが、行けばわかると返事が来た。駐車場も大丈夫とのことだった。

10時にはホテルを出てアルルに向かう。カーナビを設定するとエクサンプロバンス経由で案内されるので途中を指定して回り込んだ。

アルルに行く途中右に湖、左に海を見て北へ抜けると見渡す限りの地平線に出た。アメリカ大陸横断以来だ。

アルルへの道

アルルにつくと最初の目的地をローマ浴場近くの駐車場にしたがひどく狭くて曲がりくねっていて壁にこすりそうになった。

駐車場に車を入れて料金を払おうとすると2時間までしか停められない。
目の前がレストランだったのでそこで昼食を手早く済ませようとするがメニューが全く読めない。英語メニューはないかと聞いてもありませんと言われる。最後は適当に目見当で注文した。
サンドイッチ2つとピザを食べたがおいしかったが多すぎた。

コンスタンチヌスの浴場を見たがローマのカラカラ浴場と比べて10分の1ぐらいで日本のスーパー銭湯ぐらいの規模だった。

次に隣の美術館を見て車を出し円形競技場に向かう。
駐車場は路上だが歩道に乗り上げる形でそこでも1時間半ほど料金を払った。

円形競技場はローマコロシアムと比べると半分ぐらいだが、今でも何かのコンサートなどに使われていてそのための鉄パイプの仮設座席が組み込まれていた。これはいささかがっかりした。

古代劇場も何か別のものに使われていてあまり見る価値はなかった。

アルルの跳ね橋を見るために少し回り道をした。

エスパス・ヴァンゴッホの美術館を見損なったのは返す返すも残念だ。

アラモンへの道

アルルを出てアラモンに向かう。

アラモンについたのは6時半ごろで車は市街地に立ち入り禁止になっていた。仕方なくその外側の駐車場に車を止めて歩いて入っていった。
PUB16を探したが全く見つからなくて、しばらくうろうろしていた。息子が見つけてきて早速行ってみると、男の人から「何のことだ」といわれ、メールを見せると一旦引っ込んで、しばらくしてカギを持ってきた。

建物に戻り鍵で開けようとしてもなんともあかない。悪戦苦闘していると通りがかりのフランス人が貸してと言って難なく開けてくれた。その後は簡単に開けることができるようになった。車から荷物を手で押して部屋までもってきた。

そのころから市街地ではコンサートと椅子テーブルが並んで人が大勢集まってきていた。
荷物を整理してから中心地はコンサートで騒がしく、それを避けて食事をするために出かける。街中を歩いたが日曜のせいか全く開いていない。

結局中心に戻り屋台のような店からサンドイッチとポテトを買ってコンサートの中で食べた。

アラモンのフェスティバル

息子は射的をやりたいと言い、ゲームのエリアに行って、4ユーロ払って3発の玉を買った。 やり方がわからないので射的場の人に教えてもらいながら風船を撃ったら、2発当たった。この中から選んでといわれた中から懐中電灯をもらって帰った。

部屋に戻り、二人はインスタント味噌汁を作って食べていた。

28日の足跡

 

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マルセイユ

 マルセイユ8月27日


ニースからエクサンプロヴァンス、マルセイユを通りマリニャーヌで泊まり

ニースのAirbnbを10時ごろ出発。昨晩夕食を食べに行ったニースの海岸にもう一度行った。

広場は中央をトラムが走っていて、予想した以上に広くてきれいで、絵のようだった。写真を撮ったり散歩をして11時にエクサンプロバンスに向かった。


サービスエリアで妻と運転を交代したが料金所の支払いでわき腹を吊り、次のサービスエリアでまた交代し、エクサンプロバンスに到着。

ニースからエクサンプロバンス

エクサンプロバンスは相当暑くて息子にかき氷を買ってあげる。エクサンは水と言う意味でこの街では噴水が多い。そのうちの4つがこの道にある。その噴水をいくつか見てカフェで一服する。

噴水

次の目的地マルセイユに向かう。



30分ほど走るとマルセイユについたが右も左もわからないので町の中央に行き駐車場に車を入れた。外に出てみるとあまりきれいとは言えない街で、早々に車に戻った。 それでもマルセイユに来たら港を見ないわけにはいかないだろうと港に向かった。港には車が列を作って大渋滞していてとてもどこかに止めてみる余裕もなく、仕方ないので車の中から写真を撮りまくって、そのままマルセイユと別れを告げた。

マルセイユの宿は決まっていないのでホテルを探すことにしたが、少し離れたところがよかろうとアルルの方向で探し、マリニャーヌのアイビススタイルホテルに泊まることにした。

夜の食事はそのホテルのディナーにした。肉は少し硬かったがおいしかった。イタリアよりフランスのほうがおいしいような気がする。

27日の足跡 なし

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