月別アーカイブ: 2016年9月

ヨーロッパ旅行 帰国

9月24日
成田到着

成田 ➡ 自宅

成田➡自宅

やはり日本に帰ってくるとホッとする。少し気味が悪いぐらい物腰が柔らかく丁寧だ。

空港には宅配の会社が何社もカウンターを出していて、簡単に出せるのはさすが日本である。
ただワインを2本送ろうとしたが小さいサイズの箱がなくて送料はワインの代金より高くなった。

飛行機で食べなかった妻は一人でレストランに入りおじやを食べていた。
妻が戻ってきて成田エクスプレスに乗った。
茅ヶ崎駅につくと雨が降っていたのでタクシーで帰った。

日本を出るときどしゃ降りだったが、帰ったときもまた雨だった。

この旅は稲妻のようであった。
ライブに挑戦と唄ったがとてもそれどころではなかった。

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ロンドン-モスクワ

9月22日
ロンドン > モスクワ

ヒルトンホテルを8時ごろでてアエロフロートのチェックインに行くと誰もいなくてしばらく待たされたが、始まるとビジネスクラスのなのでチェックインは簡単に済んだ。

ヒースロー空港のデバーチャー(出発)のゲートを通過しようとしたらカメラを指差し見せろというので渡すとゲートの入り口の写真を見て消せというので消したら、この中は撮影禁止だとくぎを刺された。
デパーチャーの中は商店も多くレストランも高級そうだった。その中で酒を扱っている店を探しいくつか見当をつけておいて、レストランはと空港の係員に聞くと2階だとエレベータを指差した。
レストランで食後席を外していると妻から出発の時間だと電話で呼び出された。土産物店に戻りワイン4本とチョコを買い物したら、ワインはビニールの袋に入れて封をされ、成田到着まで開けてはいけないとシールされた。

11時15分ゲートが開き、搭乗が始まった。

ビジネスクラスにしては狭くリクライニングも少ししかできなかった。
昼に食事が出たがあまりおいしいとは言い難く、妻は残してしまった。
モスクワ
モスクワに到着しトランジットに3時間ほど余裕があったので、ビジネスクラスのラウンジに行ってみると日本からのときと同じく満席で、窮屈なカウンターしか空いてなかった。

時間になったのでゲート28に行ったが予定の時間になっても開かず、11時の予定が11時40分遅延と表示された。受付の女性は不機嫌そうに座っているだけで何も案内をしなかった。
11時40分ごろ飛行機は成田に向かって離陸した。


成田モスクワ間のビジネスクラスのシートはゆったりして完全にフラットになるし、日本からの食事もよかったが、モスクワからの食事は食べられる代物ではなかった。私は食べたが。妻は夕食も朝食も手を付けることはなかった。
それにしてもモスクワで食べたレストランはとてもおいしかったのになぜだろう。ピロシキを数個出してくれた方がましだった。

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ロンドン到着

9月23日


パリ Paris、ロンドン London

パリ

パリの最後の朝を7時ごろ起きたら、息子も起きていた。鍵の引き渡しのためホストが8時半過ぎに来ると聞いていたのであわただしく出発の準備をしていたらピンポンがなった。まだ8時前なのにホストのお兄さんが来てしまいみんな慌てた。

鍵を返し持ってきた残りの土産をあげて、iPhoneでユーバを呼んだ。そのままiPhoneをもって外に出たらネットが切れてキャンセルになってしまった。部屋に戻り呼びなおすと13分後になり、9時近くになってた。

ユーバーを待っていると、車ちょうど一台分しか空いていないのに無理やり前後の車を押しのけて駐車するのを見て、話には聞いていたが、本当なんだと驚いた。

ユーバーは30分ほどでパリ北駅につき24ユーロ支払った。北駅のユーロスターのゲートを抜けフランス出国窓口を出てイギリスの入国窓口で2列に並んでいたら、私たちの列の先頭の人がひどく時間がかかり、隣の列がどんどん進むので参った。私ひとりだけ隣の列に並びなおして妻と息子を追い越しそうになったので二人をこちらの列に移動させようやく通った。

出発ロビーに10時ごろ入り10時45分列車が到着した。スーツケースは列車のドアのわきに置いてくることになっているのに妻が席まで持ち込んできたもので人が通れなくなり困っていたら、隣の席の人が座席の隙間にねじ込んでくれた。

電車は最高時速300キロで英仏海峡を目指した。息子は早々に寝てしまったが海峡のトンネルに入る前に起こしたが、トンネルに入るとまた寝ていた。

パリ、ロンドン ユーロスター

英国に入ると建物がレンガ造りや木造になり石積みの家がなくなった。

途中一駅だけ泊まって、ロンドンに到着した。

ロンドン

 
ロンドンの駅のカフェでお茶を飲みながらネットでホテルを探した。明日のアエロフロートの出発便がターミナル4だからその近くのホテルを探すとヨーテルというホテルが安かったので予約を入れようとしたが途中でネットが切れた。
とにかく行ってみることにして地下鉄に乗り、ヒースローターミナル4へ行く電車に乗り換えた。3年前に買ったオイスターカードはまだ使えた。
空港でヨーテルに行ってみたがあまりに狭くカプセルホテルみたいだったので断って、同じターミナルのヒルトンホテルを見に行くことにした。
入り口を見つけ入ってみると長い通路になっている。しばらく歩くとあと4分の看板が見えてきた。しばらくするとあと2分となって結局10分ほど歩かされた。

クロークに行って宿泊費を聞くと350ポンドと言われ、高いので迷ったがまた荷物を持ってホテルを探し歩くのも鬱陶しいと泊まることにした。なんか詐欺っぽい。
息子と3人で写真を撮ってから空港に日本食の店はないかネット検索をするとターミナル5にラーメンの店があった。

ホテルの前にターミナル5行きのバス停があり5ポンドだったが、、ヒースローエクスプレスなら一回乗り換えれば無料で行けるので電車で行くことにした。
でも駅まで遠かった上、乗り換え駅でまたひどく歩くことになり、バスにすればよかったと後悔した。

ターミナル5でラーメン屋を探してうろうろしたがどうしても見つからない。もしかして出発ホールの中じゃないかと妻が言いだし、たどり着くことができなかった。ターミナル5の出国の人しか食べられないと言うのはどうなのかと思う。
仕方なくカフェネロでパンとスープなどでささやかな最後の晩餐をした。

8時になったので息子に迎えに来ているはずのスクールスタッフの携帯に電話を掛けてもらった。すぐ行くと返事がありスタッフがやってきた。
みんな集まっているというので一緒に集合場所に行きそこで日本から今回からスクールに入学した母娘と会った。

しばらく話をして10時ごろになったので挨拶をして私たちはホテルに戻った。

これで車は返したし、息子もスクールに返し、私たちが日本に帰れば今回の旅は終わりだ、

22日の足跡

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パリ6日(シテ科学技術館)

9月21日
ボン・マルシェ百貨店、シテ科学技術館

息子の好きなシテ科学技術館にいくため、息子を早く起こそうとしたがなかなか起きず、10時半にようやく出られた。
先にお土産を買おうと地下鉄でServes-Babylone駅まで行きボン・マルシェ百貨店に着いた。

古くて低い三階建てではあったが内装はとてもおしゃれだ。入り口のセキュリティで日本人かと聞かれそうだと応えると黙って中を指差した。ほかの人は鞄の中身を開けさせられていた。
3階まで行ったが衣料品関連ばかりで土産になりそうなものはなかったが、渡り廊下の先の別館で食品を扱っていた。美味しそうなワインを見つけて、包装カウンターに行き、日本に送れるかと聞くと、郵便局から送れと断られた。結局クッキーをいくつか買うことにした。

外に出ると息子が和食の店に行きたいと探していたが、「この後シテ科学技術館に行くだろ、閉館が決まっているから和食の店を探し回っているうちに、遊ぶ時間はどんどんなくなるよ」と言うと、しばらく考えて「どこでもいいから早く食べよう」と言い出した。
地下鉄Saint-Placide駅に歩いている途中で両替で持っていた200ドルほどの紙幣をすべてユーロに代えた。

カフェレストランで私と妻はハンバーグ、息子はカルボナーラを頼んだ。
地下鉄のCorentin Cariou駅で降りた。

シテ科学技術館の前に立って想像よりはるかに大きくて驚いた。エスカレーターで3階に行くといくつもの展示があり、息子はそれらを懸命に見て回ったが、一部英語の解説はあるが、基本説明文がフランス語でよく意味がわからない展示が多かった。
一つだけ両手を広げて飛行機のかっこをすれば飛べるフライトシミュレーターは面白かった。

閉館で外に出て夕食にしようとレストランを探した。そこそこにぎやかな街で和食を謳う店も3軒ほどあったがどれも中国人か韓国人の店で食べる気になれず、韓国料理にした。
愛想のいいウェイターは片言の日本語で食べ方を教えてくれた。日本で食べるよりはおいしいとはなかなか言いにくいが、久しぶりの韓国料理はおいしかった。

GoogleMapの検索でトラムに乗り地下鉄に乗り換えることにした。妻がパリは地下鉄は切符を入れたら二度は入れられないと書いてあったと言うけどそんなことはないだろとPorte de la Capelleを降りて地下鉄に乗り換えようとしたらはねられ妻のほうが正しかった。

時間も遅いしタクシーで部屋に帰ることにした。降りるとき9ユーロ50セントだったが10ユーロ渡すと運転手が50セントの釣りをよこそうとした。ローマのタクシーでは釣りは返してくれなかったからパリは正直だ。

部屋に戻り荷物の整理を簡単にして明日に備えた

21日の足跡

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パリ5日(モンマルトル広場)

9月20日
マドレーヌ寺院、シャンゼリゼ、モンマルトル

7時半ごろ息子を起こしたが9時近くまで起きようとしなかった。食事やシャワーなどで手間どり部屋を出る時には10時になっていた。

iPadを取り戻す方法を考えた。犯人の居場所はほぼ特定できたので乗り込むことも考えたがあまりに危険だということで警察に一緒に行ってもらうことにした。

まずはマドレーヌ寺院に行くことにして地下鉄で駅を出ると目の前であった。入ろうとしたがどうしても入り口が分からず、目立たない小さなドアから入ってもエレベータしかない。そこで躊躇していると後ろから老女が入ってきてエレベーターに乗り、手招きしたので一緒に2階(ファーストフロア)で降りたら正面入り口だった。

そこは豪華と言うよりうまく調和がとれた美しい空間になっていた。しばらく眺めてから外に出て改めて正面階段から写真を撮った。

警察署に行こうとマップを見ながら歩いていたが、そこにはそれらしいものがなくて、近くにいた警官に聞くとシャンゼリゼ通りだという。それで途次のエリゼ宮を先に見ることにした。

エリゼ宮はフランスの宮殿としては割と地味で観光客もほとんどいないし大統領府としても目立たなかった。
警備していた警官に次々と警察署を聞きながらシャンゼリゼ通りまで行きパリ警察署にたどり着いた。
どうみても交番にしか見えない小屋に警官が立っていたので、警察署はここかと聞くと何の用だと聞かれ、盗難届を出したいというと鞄の中を確認して後ろの大きな建物を指差した。
受付で盗難届と言うと書類を出して書き込めという。いくつか質問しながら書き終え、待っている間に外に出てみたらパリWi-Fiが捉まったので、iPhoneを探せでiPadの現在地を表示させた。だいぶ待っていると女性警官が中に入れと言ってきた。
3人で入ろうとしたら「ここは狭いからほかの人は出てほしい」と言われたので妻は入らず息子と一緒に入った。「彼は何でいるのか」と聞かれて私より息子のほうが英語が得意なんでというと、「私も英語は得意じゃないからいらない」と叫んだ。(はぁ?)
書類を見ながらパソコンにデーターを入れ込み始めた。私がiPhoneを探せでiPadの所在はわかっているので一緒に行ってもらえないかとiPhoneを見せようとしたら、丸に棒を引いててんてんで囲い300mと書き、無理だという。それでも私が見てくれと言ってもひどい英語でわかるかわかるかと言いながら何か主張している。息子が意味が分からないというとひどく興奮してきたので、もういいやとあきらめた。
手続きが終わると部屋から出てプリントアウトした紙にサインしろと言うので4カ所全部違うサインをしたが黙って控えをよこして終わりだと冷たく言った。

シャンゼリゼ通り

1時ごろになっていたので3人で一昨日行った和食レストランジャパネに行くことにした。
Googlemapで行き、すき焼き定食と焼肉定食と刺身定食を頼んだ。どれも日本で食べる普通の定食だったが息子は感激していた。

地下鉄でユーロスターのチケットを買うためGare de Nord(パリ北駅)に行き窓口を探したが、分かりにくくて右往左往した。2階に専用窓口がありそこでパスポートを見せたら、日本はシェンゲン協定に入っていないと言いだした。イギリス入国に問題はないだろうと言うと、聞きに行って問題ないと言った。
11時ごろと言うと11時15分は450ユーロで、9時15分なら190ユーロだと言われたがとてもその時間には来れそうもないので11時15分にした。時間で料金が違うんだ。

チケットを手に入れて、モンマルトルに向かった。坂を上り始めると二人とも音を上げていたが、途中でお茶を飲むのはもったいないので無理やり登った。
そこで見かけた店で0.5ユーロで売っている衣類があり、商品の山が崩れて流れる水で濡れた地面に散らばっている。それを手に取っている客を見て唖然とした。

サクレ・クール寺院は坂の頂点に立っていてとても美しかった。

3人ともつかれていたので近くのカフェでお茶とアイスクリームなどを食べて一休みした。

そこから急な階段を上り始めたがかなり長く息子が私の尻を押してくれ登り切った。サクレ・クール寺院に入り写真を撮ろうとしたら息子が制止した。見ると撮影禁止のマークが出ていた。しかしほかの人がスマホやカメラでカシャカシャとっているのに係りの人は止めもせずに雑談しているのを見て大丈夫だよと言った。

そこの売店でこの旅で初めてクロス(十字架)を5ユーロで買った。

外に出るとドームへの入り口があったので入ってみようとしたが一人6ユーロを見て妻がやめてしまった。

外に出ると寺院の裏に回りモンマルトルの丘に向かった。そこには売店や画廊が数多く並んでいて、その中で変わった絵葉書やランチョンマットなどを買い、コモード(小箪笥)の物入れを見かけてそれも買った。

ほかの店で息子が時計を見て一つ6ユーロ2つで10ユーロだったので二つ買っていた。

さらに行くと絵描きがいっぱいならんで絵を描いているのを見た。30年前にはその広場中に画家が散らばっていたが、中央がオープンカフェのテーブルになっていてそれを取り囲むように細々とキャンパスを立てていた。それらの絵を一通り見て回って妻は一人の画家から4枚の絵を買っていた。何人かの画家から片言の日本語で話しかけられた。

ほかの絵も買いたかったがこれはと言うのがなくて買いそびれた。夕食の時間になったのでレストランに入り食事をした。そのウエイターは日本語がかなりできたが、こちらから話しかけるとわからないようであった。

食事は結構いける味だったが、何せ量が多くて互いに分け合って食べた。ヨーロッパの人は同じものをひたすら食べるのを見て日本人にはできないと思う。

食事を終えてまた画家を見て回っていたら、妻が買った画家が釣りを間違えたといって2ユーロほしいといってきた。妻も覚えがあるらしくおとなしく払っていた。

帰りしなにも店を見て回ったが最初に買った店でお土産として布巾を四つ買った。

暗くなったので帰ろうとしたが息子がトイレに行きたいというので,8ユーロ払って有料トイレに入った。(高)

坂を降りようとしたら門扉が閉まっていた。なら階段で降りようとしたが、ケーブルカーFuniculaire – Gare Basseがあった。有料だけど地下鉄と同じ会社だからきっとその切符でそのまま地下鉄に乗れるだろうと回数券を買った。

降りてからさらに歩いて地下鉄のAnvers駅に行きその切符を使おうとしたらはねられた。どうもケーブルカーだけ別料金だったようだ。

そこから乗り換えて部屋に戻った。
今日の足跡

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