カテゴリー別アーカイブ: 旅行

本になりました

旅行に行ったのはもうおととしになります。
帰国してから2年間というもの書籍にするために悪戦苦闘してきましたが、ようやく本になりました。「よろよろヨーロッパ、くるくるくるま旅」です。
アマゾンだけでなく、一部の書店に出ていて何冊かはすで売れたようです。

旅行に出る前に多くの旅行本を買いました。きれいな風景や観光地は豊富で参考にはなりましたが、リアルに役に立つ失敗例やアクシデント、ネット情報などが見受けられませんでした。私は考えました。「面白くて役に立つ旅行本を作ろう。」
そのため

1.間違えたり、すりにあったり、などの失敗をそのまま文章にする。
2.出版社だけに任せず、途中であった情報を盛り込んだ文章から写真、デザイン、ページ組みなどのすべて自分で組み立てる。
3.ページデザインはパリのグラフィックデザイナーに頼む。
4.文章中に妻の言葉も入れ、やり取りの面白さと臨場感をだす。
5.豊富な写真だけでなく旅行本としては珍しいパノラマ写真や動画をスマホで見ることができるようにする。
6.すべての料理やAirbnbの写真と金額を入れ、
7.GPSを持ち歩き経路を地図にする。など工夫をこらしました。

原稿の写真と文字が入り組んでいるので出版社とのやり取りはとても大変で、出版社から送られてきた校正紙を私がインデザインを使って修正して送り返す形で進めました。私にしてみれば本を出すこと自体が初めてで、多分出版社もこういう形の書籍を経験したことがなかったのだと思います。だからはじめは意思の疎通に混乱し、最終的にこの形に落ち着くのにだいぶ時間がかかりました。

シエナ イタリア
モンサンミッシェル フランス

最初は私がひとりでデザインもしていましたが、どうしても納得がいく形にならず、ある会社を通じてパリの日本人デザイナーと知り合い、お願いして書き直してもらうことにしました。表紙のデザインも彼女にお願いしました。デザインは彼女のイメージのままですが、ページ繰りは私がかなり手を加えました。
タイトルも彼女が提案した「くるくるくるま旅」に私が「よろよろヨーロッパ」を加えた合作です。

旅も大変でしたが、想像以上に手間暇がかかった出版でした。でも、こうやって本になるといい思い出が残ります。

この本が売れたら、今度はユーラシア大陸を横断しようかと企んでいます。

みんな、買ってね。 😛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨーロッパ旅行 帰国

9月24日
成田到着

成田 ➡ 自宅

成田➡自宅

やはり日本に帰ってくるとホッとする。少し気味が悪いぐらい物腰が柔らかく丁寧だ。

空港には宅配の会社が何社もカウンターを出していて、簡単に出せるのはさすが日本である。
ただワインを2本送ろうとしたが小さいサイズの箱がなくて送料はワインの代金より高くなった。

飛行機で食べなかった妻は一人でレストランに入りおじやを食べていた。
妻が戻ってきて成田エクスプレスに乗った。
茅ヶ崎駅につくと雨が降っていたのでタクシーで帰った。

日本を出るときどしゃ降りだったが、帰ったときもまた雨だった。

この旅は稲妻のようであった。
ライブに挑戦と唄ったがとてもそれどころではなかった。

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ロンドン-モスクワ

9月22日
ロンドン > モスクワ

ヒルトンホテルを8時ごろでてアエロフロートのチェックインに行くと誰もいなくてしばらく待たされたが、始まるとビジネスクラスのなのでチェックインは簡単に済んだ。

ヒースロー空港のデバーチャー(出発)のゲートを通過しようとしたらカメラを指差し見せろというので渡すとゲートの入り口の写真を見て消せというので消したら、この中は撮影禁止だとくぎを刺された。
デパーチャーの中は商店も多くレストランも高級そうだった。その中で酒を扱っている店を探しいくつか見当をつけておいて、レストランはと空港の係員に聞くと2階だとエレベータを指差した。
レストランで食後席を外していると妻から出発の時間だと電話で呼び出された。土産物店に戻りワイン4本とチョコを買い物したら、ワインはビニールの袋に入れて封をされ、成田到着まで開けてはいけないとシールされた。

11時15分ゲートが開き、搭乗が始まった。

ビジネスクラスにしては狭くリクライニングも少ししかできなかった。
昼に食事が出たがあまりおいしいとは言い難く、妻は残してしまった。
モスクワ
モスクワに到着しトランジットに3時間ほど余裕があったので、ビジネスクラスのラウンジに行ってみると日本からのときと同じく満席で、窮屈なカウンターしか空いてなかった。

時間になったのでゲート28に行ったが予定の時間になっても開かず、11時の予定が11時40分遅延と表示された。受付の女性は不機嫌そうに座っているだけで何も案内をしなかった。
11時40分ごろ飛行機は成田に向かって離陸した。


成田モスクワ間のビジネスクラスのシートはゆったりして完全にフラットになるし、日本からの食事もよかったが、モスクワからの食事は食べられる代物ではなかった。私は食べたが。妻は夕食も朝食も手を付けることはなかった。
それにしてもモスクワで食べたレストランはとてもおいしかったのになぜだろう。ピロシキを数個出してくれた方がましだった。

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ロンドン到着

9月23日


パリ Paris、ロンドン London

パリ

パリの最後の朝を7時ごろ起きたら、息子も起きていた。鍵の引き渡しのためホストが8時半過ぎに来ると聞いていたのであわただしく出発の準備をしていたらピンポンがなった。まだ8時前なのにホストのお兄さんが来てしまいみんな慌てた。

鍵を返し持ってきた残りの土産をあげて、iPhoneでユーバを呼んだ。そのままiPhoneをもって外に出たらネットが切れてキャンセルになってしまった。部屋に戻り呼びなおすと13分後になり、9時近くになってた。

ユーバーを待っていると、車ちょうど一台分しか空いていないのに無理やり前後の車を押しのけて駐車するのを見て、話には聞いていたが、本当なんだと驚いた。

ユーバーは30分ほどでパリ北駅につき24ユーロ支払った。北駅のユーロスターのゲートを抜けフランス出国窓口を出てイギリスの入国窓口で2列に並んでいたら、私たちの列の先頭の人がひどく時間がかかり、隣の列がどんどん進むので参った。私ひとりだけ隣の列に並びなおして妻と息子を追い越しそうになったので二人をこちらの列に移動させようやく通った。

出発ロビーに10時ごろ入り10時45分列車が到着した。スーツケースは列車のドアのわきに置いてくることになっているのに妻が席まで持ち込んできたもので人が通れなくなり困っていたら、隣の席の人が座席の隙間にねじ込んでくれた。

電車は最高時速300キロで英仏海峡を目指した。息子は早々に寝てしまったが海峡のトンネルに入る前に起こしたが、トンネルに入るとまた寝ていた。

パリ、ロンドン ユーロスター

英国に入ると建物がレンガ造りや木造になり石積みの家がなくなった。

途中一駅だけ泊まって、ロンドンに到着した。

ロンドン

 
ロンドンの駅のカフェでお茶を飲みながらネットでホテルを探した。明日のアエロフロートの出発便がターミナル4だからその近くのホテルを探すとヨーテルというホテルが安かったので予約を入れようとしたが途中でネットが切れた。
とにかく行ってみることにして地下鉄に乗り、ヒースローターミナル4へ行く電車に乗り換えた。3年前に買ったオイスターカードはまだ使えた。
空港でヨーテルに行ってみたがあまりに狭くカプセルホテルみたいだったので断って、同じターミナルのヒルトンホテルを見に行くことにした。
入り口を見つけ入ってみると長い通路になっている。しばらく歩くとあと4分の看板が見えてきた。しばらくするとあと2分となって結局10分ほど歩かされた。

クロークに行って宿泊費を聞くと350ポンドと言われ、高いので迷ったがまた荷物を持ってホテルを探し歩くのも鬱陶しいと泊まることにした。なんか詐欺っぽい。
息子と3人で写真を撮ってから空港に日本食の店はないかネット検索をするとターミナル5にラーメンの店があった。

ホテルの前にターミナル5行きのバス停があり5ポンドだったが、、ヒースローエクスプレスなら一回乗り換えれば無料で行けるので電車で行くことにした。
でも駅まで遠かった上、乗り換え駅でまたひどく歩くことになり、バスにすればよかったと後悔した。

ターミナル5でラーメン屋を探してうろうろしたがどうしても見つからない。もしかして出発ホールの中じゃないかと妻が言いだし、たどり着くことができなかった。ターミナル5の出国の人しか食べられないと言うのはどうなのかと思う。
仕方なくカフェネロでパンとスープなどでささやかな最後の晩餐をした。

8時になったので息子に迎えに来ているはずのスクールスタッフの携帯に電話を掛けてもらった。すぐ行くと返事がありスタッフがやってきた。
みんな集まっているというので一緒に集合場所に行きそこで日本から今回からスクールに入学した母娘と会った。

しばらく話をして10時ごろになったので挨拶をして私たちはホテルに戻った。

これで車は返したし、息子もスクールに返し、私たちが日本に帰れば今回の旅は終わりだ、

22日の足跡

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パリ6日(シテ科学技術館)

9月21日
ボン・マルシェ百貨店、シテ科学技術館

息子の好きなシテ科学技術館にいくため、息子を早く起こそうとしたがなかなか起きず、10時半にようやく出られた。
先にお土産を買おうと地下鉄でServes-Babylone駅まで行きボン・マルシェ百貨店に着いた。

古くて低い三階建てではあったが内装はとてもおしゃれだ。入り口のセキュリティで日本人かと聞かれそうだと応えると黙って中を指差した。ほかの人は鞄の中身を開けさせられていた。
3階まで行ったが衣料品関連ばかりで土産になりそうなものはなかったが、渡り廊下の先の別館で食品を扱っていた。美味しそうなワインを見つけて、包装カウンターに行き、日本に送れるかと聞くと、郵便局から送れと断られた。結局クッキーをいくつか買うことにした。

外に出ると息子が和食の店に行きたいと探していたが、「この後シテ科学技術館に行くだろ、閉館が決まっているから和食の店を探し回っているうちに、遊ぶ時間はどんどんなくなるよ」と言うと、しばらく考えて「どこでもいいから早く食べよう」と言い出した。
地下鉄Saint-Placide駅に歩いている途中で両替で持っていた200ドルほどの紙幣をすべてユーロに代えた。

カフェレストランで私と妻はハンバーグ、息子はカルボナーラを頼んだ。
地下鉄のCorentin Cariou駅で降りた。

シテ科学技術館の前に立って想像よりはるかに大きくて驚いた。エスカレーターで3階に行くといくつもの展示があり、息子はそれらを懸命に見て回ったが、一部英語の解説はあるが、基本説明文がフランス語でよく意味がわからない展示が多かった。
一つだけ両手を広げて飛行機のかっこをすれば飛べるフライトシミュレーターは面白かった。

閉館で外に出て夕食にしようとレストランを探した。そこそこにぎやかな街で和食を謳う店も3軒ほどあったがどれも中国人か韓国人の店で食べる気になれず、韓国料理にした。
愛想のいいウェイターは片言の日本語で食べ方を教えてくれた。日本で食べるよりはおいしいとはなかなか言いにくいが、久しぶりの韓国料理はおいしかった。

GoogleMapの検索でトラムに乗り地下鉄に乗り換えることにした。妻がパリは地下鉄は切符を入れたら二度は入れられないと書いてあったと言うけどそんなことはないだろとPorte de la Capelleを降りて地下鉄に乗り換えようとしたらはねられ妻のほうが正しかった。

時間も遅いしタクシーで部屋に帰ることにした。降りるとき9ユーロ50セントだったが10ユーロ渡すと運転手が50セントの釣りをよこそうとした。ローマのタクシーでは釣りは返してくれなかったからパリは正直だ。

部屋に戻り荷物の整理を簡単にして明日に備えた

21日の足跡

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