タグ別アーカイブ: 海外旅行

ヨーロッパ旅行 帰国

9月24日
成田到着

成田 ➡ 自宅

成田➡自宅

やはり日本に帰ってくるとホッとする。少し気味が悪いぐらい物腰が柔らかく丁寧だ。

空港には宅配の会社が何社もカウンターを出していて、簡単に出せるのはさすが日本である。
ただワインを2本送ろうとしたが小さいサイズの箱がなくて送料はワインの代金より高くなった。

飛行機で食べなかった妻は一人でレストランに入りおじやを食べていた。
妻が戻ってきて成田エクスプレスに乗った。
茅ヶ崎駅につくと雨が降っていたのでタクシーで帰った。

日本を出るときどしゃ降りだったが、帰ったときもまた雨だった。

この旅は稲妻のようであった。
ライブに挑戦と唄ったがとてもそれどころではなかった。

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ロンドン-モスクワ

9月22日
ロンドン > モスクワ

ヒルトンホテルを8時ごろでてアエロフロートのチェックインに行くと誰もいなくてしばらく待たされたが、始まるとビジネスクラスのなのでチェックインは簡単に済んだ。

ヒースロー空港のデバーチャー(出発)のゲートを通過しようとしたらカメラを指差し見せろというので渡すとゲートの入り口の写真を見て消せというので消したら、この中は撮影禁止だとくぎを刺された。
デパーチャーの中は商店も多くレストランも高級そうだった。その中で酒を扱っている店を探しいくつか見当をつけておいて、レストランはと空港の係員に聞くと2階だとエレベータを指差した。
レストランで食後席を外していると妻から出発の時間だと電話で呼び出された。土産物店に戻りワイン4本とチョコを買い物したら、ワインはビニールの袋に入れて封をされ、成田到着まで開けてはいけないとシールされた。

11時15分ゲートが開き、搭乗が始まった。

ビジネスクラスにしては狭くリクライニングも少ししかできなかった。
昼に食事が出たがあまりおいしいとは言い難く、妻は残してしまった。
モスクワ
モスクワに到着しトランジットに3時間ほど余裕があったので、ビジネスクラスのラウンジに行ってみると日本からのときと同じく満席で、窮屈なカウンターしか空いてなかった。

時間になったのでゲート28に行ったが予定の時間になっても開かず、11時の予定が11時40分遅延と表示された。受付の女性は不機嫌そうに座っているだけで何も案内をしなかった。
11時40分ごろ飛行機は成田に向かって離陸した。


成田モスクワ間のビジネスクラスのシートはゆったりして完全にフラットになるし、日本からの食事もよかったが、モスクワからの食事は食べられる代物ではなかった。私は食べたが。妻は夕食も朝食も手を付けることはなかった。
それにしてもモスクワで食べたレストランはとてもおいしかったのになぜだろう。ピロシキを数個出してくれた方がましだった。

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ロンドン到着

9月23日


パリ Paris、ロンドン London

パリ

パリの最後の朝を7時ごろ起きたら、息子も起きていた。鍵の引き渡しのためホストが8時半過ぎに来ると聞いていたのであわただしく出発の準備をしていたらピンポンがなった。まだ8時前なのにホストのお兄さんが来てしまいみんな慌てた。

鍵を返し持ってきた残りの土産をあげて、iPhoneでユーバを呼んだ。そのままiPhoneをもって外に出たらネットが切れてキャンセルになってしまった。部屋に戻り呼びなおすと13分後になり、9時近くになってた。

ユーバーを待っていると、車ちょうど一台分しか空いていないのに無理やり前後の車を押しのけて駐車するのを見て、話には聞いていたが、本当なんだと驚いた。

ユーバーは30分ほどでパリ北駅につき24ユーロ支払った。北駅のユーロスターのゲートを抜けフランス出国窓口を出てイギリスの入国窓口で2列に並んでいたら、私たちの列の先頭の人がひどく時間がかかり、隣の列がどんどん進むので参った。私ひとりだけ隣の列に並びなおして妻と息子を追い越しそうになったので二人をこちらの列に移動させようやく通った。

出発ロビーに10時ごろ入り10時45分列車が到着した。スーツケースは列車のドアのわきに置いてくることになっているのに妻が席まで持ち込んできたもので人が通れなくなり困っていたら、隣の席の人が座席の隙間にねじ込んでくれた。

電車は最高時速300キロで英仏海峡を目指した。息子は早々に寝てしまったが海峡のトンネルに入る前に起こしたが、トンネルに入るとまた寝ていた。

パリ、ロンドン ユーロスター

英国に入ると建物がレンガ造りや木造になり石積みの家がなくなった。

途中一駅だけ泊まって、ロンドンに到着した。

ロンドン

 
ロンドンの駅のカフェでお茶を飲みながらネットでホテルを探した。明日のアエロフロートの出発便がターミナル4だからその近くのホテルを探すとヨーテルというホテルが安かったので予約を入れようとしたが途中でネットが切れた。
とにかく行ってみることにして地下鉄に乗り、ヒースローターミナル4へ行く電車に乗り換えた。3年前に買ったオイスターカードはまだ使えた。
空港でヨーテルに行ってみたがあまりに狭くカプセルホテルみたいだったので断って、同じターミナルのヒルトンホテルを見に行くことにした。
入り口を見つけ入ってみると長い通路になっている。しばらく歩くとあと4分の看板が見えてきた。しばらくするとあと2分となって結局10分ほど歩かされた。

クロークに行って宿泊費を聞くと350ポンドと言われ、高いので迷ったがまた荷物を持ってホテルを探し歩くのも鬱陶しいと泊まることにした。なんか詐欺っぽい。
息子と3人で写真を撮ってから空港に日本食の店はないかネット検索をするとターミナル5にラーメンの店があった。

ホテルの前にターミナル5行きのバス停があり5ポンドだったが、、ヒースローエクスプレスなら一回乗り換えれば無料で行けるので電車で行くことにした。
でも駅まで遠かった上、乗り換え駅でまたひどく歩くことになり、バスにすればよかったと後悔した。

ターミナル5でラーメン屋を探してうろうろしたがどうしても見つからない。もしかして出発ホールの中じゃないかと妻が言いだし、たどり着くことができなかった。ターミナル5の出国の人しか食べられないと言うのはどうなのかと思う。
仕方なくカフェネロでパンとスープなどでささやかな最後の晩餐をした。

8時になったので息子に迎えに来ているはずのスクールスタッフの携帯に電話を掛けてもらった。すぐ行くと返事がありスタッフがやってきた。
みんな集まっているというので一緒に集合場所に行きそこで日本から今回からスクールに入学した母娘と会った。

しばらく話をして10時ごろになったので挨拶をして私たちはホテルに戻った。

これで車は返したし、息子もスクールに返し、私たちが日本に帰れば今回の旅は終わりだ、

22日の足跡

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パリ6日(シテ科学技術館)

9月21日
ボン・マルシェ百貨店、シテ科学技術館

息子の好きなシテ科学技術館にいくため、息子を早く起こそうとしたがなかなか起きず、10時半にようやく出られた。
先にお土産を買おうと地下鉄でServes-Babylone駅まで行きボン・マルシェ百貨店に着いた。

古くて低い三階建てではあったが内装はとてもおしゃれだ。入り口のセキュリティで日本人かと聞かれそうだと応えると黙って中を指差した。ほかの人は鞄の中身を開けさせられていた。
3階まで行ったが衣料品関連ばかりで土産になりそうなものはなかったが、渡り廊下の先の別館で食品を扱っていた。美味しそうなワインを見つけて、包装カウンターに行き、日本に送れるかと聞くと、郵便局から送れと断られた。結局クッキーをいくつか買うことにした。

外に出ると息子が和食の店に行きたいと探していたが、「この後シテ科学技術館に行くだろ、閉館が決まっているから和食の店を探し回っているうちに、遊ぶ時間はどんどんなくなるよ」と言うと、しばらく考えて「どこでもいいから早く食べよう」と言い出した。
地下鉄Saint-Placide駅に歩いている途中で両替で持っていた200ドルほどの紙幣をすべてユーロに代えた。

カフェレストランで私と妻はハンバーグ、息子はカルボナーラを頼んだ。
地下鉄のCorentin Cariou駅で降りた。

シテ科学技術館の前に立って想像よりはるかに大きくて驚いた。エスカレーターで3階に行くといくつもの展示があり、息子はそれらを懸命に見て回ったが、一部英語の解説はあるが、基本説明文がフランス語でよく意味がわからない展示が多かった。
一つだけ両手を広げて飛行機のかっこをすれば飛べるフライトシミュレーターは面白かった。

閉館で外に出て夕食にしようとレストランを探した。そこそこにぎやかな街で和食を謳う店も3軒ほどあったがどれも中国人か韓国人の店で食べる気になれず、韓国料理にした。
愛想のいいウェイターは片言の日本語で食べ方を教えてくれた。日本で食べるよりはおいしいとはなかなか言いにくいが、久しぶりの韓国料理はおいしかった。

GoogleMapの検索でトラムに乗り地下鉄に乗り換えることにした。妻がパリは地下鉄は切符を入れたら二度は入れられないと書いてあったと言うけどそんなことはないだろとPorte de la Capelleを降りて地下鉄に乗り換えようとしたらはねられ妻のほうが正しかった。

時間も遅いしタクシーで部屋に帰ることにした。降りるとき9ユーロ50セントだったが10ユーロ渡すと運転手が50セントの釣りをよこそうとした。ローマのタクシーでは釣りは返してくれなかったからパリは正直だ。

部屋に戻り荷物の整理を簡単にして明日に備えた

21日の足跡

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パリ4日(ノートルダム大聖堂)

9月19日
コンシェルジュリー、ノートルダム大聖堂、ポンピドーセンター、バスチーユ広場

昨日買ったトーストパンを焼きインスタントコーヒーを飲んだ。
シテ島のコンシェルジュリーに行くためにGoogleMapで経路検索をしたらRERなら乗り換えなしで行けるとわかりLa Plaine Stande de France駅に行き手持ちの回数券を入れたが受け付けてくれない。改札を替えみてもだめで思案していたらZone1で買った切符は使えないという貼り紙を見つけた。よく読んでみるとその駅はZone2にあって別に切符を買えとあった。RERの切符を買って乗ると途中3駅ぐらいしか止まらずシートは柔らかくすこぶる快適だった。

コンシェルジュリーに入ると城跡ではあるが内部はモンサンミッシェルと同じように殺風景な内部である。
革命当時監獄として使われていてアントアネットの独房も再現されている。豪華絢爛な生活をしていた御妃さんがこんなみじめな牢獄でと少し哀れに感じた。

近くのノートルダム大聖堂に行き行列に並んだ。イタリアのときのように熱くはなかったので楽だった。


聖堂の中に入り息子に昨日見たロマネスクの教会との違いを説明して感想を聞くと、豪華さがまるで違うと答えた。

昼にすることにして息子は相変わらず和食を探していたが、中国人の経営するSUSHIはあっても純和式のレストランは見つからず、結局中華レストラン恒興に入りチャーハンなどを食べた。中華であれば日本で食べる中華料理と変わらない。

現代美術のポンピドーセンターに入って、エスカレータで5階に行くと特別イベントをやってたが、通常のチケットでは入れなかった。4階には数えきれないほどの作品が展示されていて、とても全部は見きれず2,3階は見ずにショップだけ見て外に出た。全部見るにはまる一日かけても足りなそうだ。

次にピカソ美術館に向かった。急いで歩いていたので息子も妻も音を上げて途中でお茶にするためカフェに入った。ところがピカソ美術館につくと月曜日で休館だった。まただ

バスティーユ広場につくと息子がトイレに行きたいと言いだしお茶も飲んじゃったし夕食には早いしと迷っていたら公衆便所を見つけた。みると機械式で無料だった。ただ使用中で一人待っていたが息子が待つというのでしばらく待つことにした。人が出たので次の人が入るかと思っていると、入ろうとせず、いったん閉まり内部清掃を待つのだと説明された。扉が閉まりひときわ高く水の音がした後ランプが緑になりボタンを押して入っていった。息子が入るとき見ると中は水浸しになっていた。

バスチーユ広場の説明はとても簡単で時間が余ったので昨日行けなかったモンパルナスに行くことにした。

地下鉄を乗り継いでモンパルナスに着いて墓地を見にいったが時間で閉鎖していて入れなかった。

道に迷いながら中心街のほうに行ってみたけれど特にみるものはなかった。
夕食の時間になったのでまたも息子が和食の店を探してガーミンを持ってさまよい始めた。食うことしか興味ないのだというとあたりまえでしょと答えた。

SUSHIはあっても純和式料理の店はなかなか見つからず、サクララーメンを見つけラーメンとカレーを食べることにした。いわゆる田舎の駅前定食程度の日本食ではあったがそういう類の日本食に飢えていたのでとてもおいしく感じた。

スーパーを見つけてヨーグルトやバターとバナナを買った。

iPadがなくなったのでネットが使えず、TrdenshansuportMapで帰路を検索し13番線に乗るためGaite駅に行くと電子表示が何か知らせていた。何せフランス語なので戸惑っていると通りがかりの人がどうしたと英語で聞いてきた。息子と話をして13番線が事故か故障でかなり遅延しているということが分かった。ホント助かる

 

13番線を迂回する地下鉄に乗り妻と息子が先に席についた。私もあとに続こうとしたら、若いきれいな女性が二人私の前をさえぎるように立つ。私が左右にかわそうとすると二人も動き通れない。何か叫んでいる二人の間を強引に振り切って妻子の所に行った。あいつらすりだろうと妻に言うとそんなことないと思うというので絶対すりだと言い切った。電車を降りて彼女らを見ると笑いながら手を振っていた。ナンダッタンダ
12番線に乗り換えて終点まで行き、部屋に戻った。

ネットで明後日のロンドン行きのユーロスターを買おうとしたが23日の分しか予約ができず22日はグレーで買えなかった。万一電車で行けない場合のため飛行機を調べたがそれは問題なかった。

足跡

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